ちょい高級和食料理店に来る人々のハレの日の物語
ちょい高級和食料理店でアルバイトしていた時期がある。そう、高級和食料理店ではなくてあくまでも「ちょい」高級和食料理店だ。
昼メニューなら客単価2,000円前後、夜のコースなら客単価3,000~4,000円ほどの、一般庶民が普段から通うには高いがちょっと特別なお祝い事やフォーマルな集まりに利用するのにちょうど良いような店である。
ドラマで政治家が密談するような本物の(?)高級店ではなく、普段ささやかに生活している大多数の我々一般庶民がハレの日に訪れる店だからこそ、座敷の個室に料理を運ぶ折に普通の人々のちょっと特別な日の一コマが垣間見えるのだ。
私は現在30歳の主婦だが、ちょい高級和食店でアルバイトしていたのは10年前のハタチのころである。
あれから随分時が経ったが、着物に身を包み鮮やかに盛り付けられた料理を盆に載せ、「失礼いたします」と座敷個室のふすま越しに声をかけるあの緊張とわくわくが入り混じった瞬間の気持ちはよく覚えている。
今回はどんな特別な日の物語に出会えるだろうと。そんな、ちょい高級和食店でのハレの日の物語をいくつか紹介したい。
春、新社会人たちの物語
春は新人歓迎会の季節だ。桜の小枝を活けた一輪挿しをお座敷のお部屋に飾ってお客様を待つ。
ついこの前まで学生だった新社会人は大抵次々と出てくる「ちょい」高級和食に対し緊張していることが多い。焼き魚に添えられているはじかみは食べるものなのかどうか、ごはんのおかわりはしていいものなのかどうか…慎重に先輩方の空気を探るおろおろとした目線をよく見かけたものだ。
そんな中で全く緊張した素振りをみせなかったために印象に残っているお客様がいる。近隣の大学の体育学部の新人歓迎会における新米先生達だ。
大学なので正確には先生という肩書なのか分からないが、しかし働き始めの最初から助教授というわけでもあるまいし、とにかく先月まで学生で4月からこの大学の体育学部で教授達と共に指導を行う新人さん達、ということらしかった。
体育学部にて教鞭をとるくらいなので本人達もアスリートの道を進んできたのだろう。そのせいかやたらと肝が据わっており、こちらが気を遣う前に空のお茶碗を片手におかわり!と差し出してきたものである。
まるで実家に来たかのようにくつろいだ様子で白髪交じりの教授達とも談笑し、しかし体育会系ならではの礼儀正しさの一線は守り…という感で、普段目にする新社会人達とはずいぶん様子が違うものだなあと驚いた覚えがある。
とはいえ新人社会人ならではの初々しさやぎこちない感じを従業員側は心から微笑ましく思っているものなので、体育の新米さん達の堂々たる様子は感心したと同時に少し寂しかったというのも本音であった。
夏、甲子園球児の物語
父、母、高校生ほどの息子とおそらくその叔父と叔母というお客様のお部屋を担当したときのことである。
当初からなんの集まりかなあと思っていた。店では予約の際に利用の目的を教えていただければ、例えばお祝い事なら祝の金文字が入った和紙飾りをお部屋に添えるし、お葬式後のお食事なら色味を抑えた懐紙を置く。
このご家族は特に集まりの目的は事前に伺っていなかったのだが、どことなく全員の顔に嬉しさが滲み出ていて、なんだかその理由を無償に聞きたくなるような不思議な雰囲気に満ちていた。
空になった皿を盆に載せ部屋から出ていこうとふすまを閉める間際、叔母と思われる人の言葉が耳に入ってきた。「それにしても本当に甲子園出場おめでとう」。
ああ、あの坊主頭の青年!甲子園!と思わず私は閉めたふすま越しに部屋を振り返った。と同時に、あの青年の家族の心遣いを徐々に理解して胸が温かくなった。
予約の際にお祝いの席だと言おうと思えば言えただろうし、甲子園出場となれば叔父叔母だけではなくもっと大々的に親戚を呼んで大広間を予約することもできたかもしれない。しかし大事な勝負前の息子のプレッシャーにならないように敢えて仰々しくせず、静かでアットホームな祝いの席を設けたのではないか。
素敵なハレの日に立ち会えた嬉しさがしみじみと心に広がった経験であった。
秋、とある父と息子の物語
お座敷のお部屋のテーブルを挟んで、50代ほどの父親と中学生ほどの息子。料理を出したり下げたりしているうちに私は不安になってきた。この二人、全然しゃべらないのである。
もちろんふすま越しにずっと聞き耳を立てている訳でもなし、私が厨房に料理を取りに行ったりほかのお部屋を掛け持ちで給仕している間に何か会話している可能性はあるのだろうが、しかしコース料理を一皿一皿給仕するために部屋に入ると会話の気配は無くただ黙々と料理を食べているばかりで目を合わせることもない。やや気まずい沈黙が満ちているのである。
なんとなく、父親は何か会話の糸口を探しているような気がした。しかし何も言い出せないままといった挙動。私は悩んだ。ハタチの小娘がしゃしゃりでる幕ではないのだが、しかし…。
「本日のお肉は、群馬産の黒毛和牛でございます」。
しゃぶしゃぶ鍋をテーブル上のコンロに置きながら急に話しかけた私に、父親は「え」と不意を突かれたように私を見た。
「寒くなって参りましたので、しゃぶしゃぶが美味しいですよね。お肉を湯にくぐらせて、薄ピンク色くらいでお召し上がりいただくのがおすすめでございます。よろしければお造りしましょうか」。
父親は少し顔をほころばせて「お願いします」と言い、私が取り分けた肉を食べて「上手いな」と息子に話しかけた。息子は父親の顔を一瞬見ながら、「うん」と答えた。
デザートのアイスを運ぶころ、ふすま越しにぽつりぽつりと二人が会話する声が聞こえた。親子にとって秋の日の良い思い出になったらいいな、と私は願った。
冬、河豚とカワブタの物語
冬、メニューには河豚の文字が躍る。河豚鍋に刺身、てんぷらに河豚酒…。この季節の旬の味を求めて来店するお客様も多い。季節限定となれば頼みたくなるのは日本人の性だろうか、忘年会を始めどのお座敷でもメニュー片手に次々と注文が入る。「この、カワブタのお刺身ください。」
こう言われてしまったら普段注文を繰り返して確認する工程を飛ばして笑顔でかしこまりましたと言うしかない。カワブタではなくて、それはフグと読むんですよという声を心に閉まって。
こんなことを書くとまるでお客様をバカにしているようだし、もちろん正しくフグと注文する人の方が多いのだが、カワブタと注文する客は面白いほど毎年必ず一定数いるのだ。
新人バイトの子に「今お客さんにフグのことカワブタって注文されました!」と言われると「ふふふ、そうでしょうそうでしょう。毎年の恒例なんだよ。」と二人でニヤリとする、これもまた毎年の恒例である。
河豚の出始めの年末はカワブタ客も多いが、正月を越えると段々カワブタと呼ぶお客様は見かけなくなりみんな正しくフグと読むようになる。あーあ、カワブタの季節も終わりだなあ、たまには誰か言ってくれないかなと思う新年なのであった。