大学生講師と中学生の差
私がアルバイトしていた塾は、主に中学生に数学や英語を教える個別指導の塾だった。自分が中学生から大学生になるまでの6年間はあっという間で、中学生と接する仕事に不安は感じていなかった。
しかし、仕事に慣れてきて生徒と親しくなると、次第に中学生との会話にずれが生じてくるのがわかった。私たちにとって5歳年下の彼らは、弟や妹のような存在である。親しく、かつ年も近く、それなりに大人のような会話ができる。
一方、彼らは私たちを大人として見ているような気がした。確かに年上で先生なのだから大人に見えるかもしれないが、実際は彼らとほとんど経験値が変わらない学生にすぎない。
そのような中で勉強を教えるとき、私は常に「先生でもわからないことがある」ことをアピールし続けた。大人として見本を見せるとき、無理してできないことをすれば鋭く指摘するのが彼らの特徴である。質問を受けても、可能な範囲で解説し、わからないことは後日調べて、一緒に勉強になったことを伝えるのだ。
流行は移り変わるものだとわかった
例えば、今はやっている文房具の話題。大学生の私はボールペンを使うことが多く、機能的な文房具を好む傾向があった。しかし、中学生の女の子からすれば「とにかく色ペンが命」であり、大学生の私からすればかさばってしょうがないほどの色ペンを筆箱に押し込んでいた。
また、私が中学生だった時と彼らの時では好みも変わってきている。
私たちが好きだったゲームと、彼らが今ハマっているゲームはまったく異なるうえに、私はそのゲームのことを全く知らなかった。流行の移り変わりを感じた瞬間である。
また流行とは趣旨が異なるが、学校行事や教育スタイルも、全体的に私たちの頃とは異なっていた。5年前私が修学旅行に行った際は、自由散策の計画は各自自由で、あまり教師が介入してこなかった。今では、逐一すべての散策時間の内訳を教師に提出し、事前に発表することをまとめるのだそうだ。これは各学校の方針というわけではなく、いろいろな中学でこうした管理スタイルをとっているそうだ。
英語の勉強法に疑問がわいた
大学受験を経験し、大学の自由な雰囲気に慣れてしまった私にとって、中学の勉強というのはあまりに退屈だった。特に英語は、いちいちルールを説明しても無意味だということを知った。
大学で新しく韓国語を習った私だが、いちいち細かい発音の変化を学ぶより、実際に発音してみて「言いにくいな」と感じないように発音を変えれば、おのずとルール通りの変則になる。
英語も同様で、理詰めで教えるよりとにかく発音し、作文し、わからない言葉を推測して覚えていったほうが、格段に上達することを知っている。だからこそ、塾で詰め込んでも(テストはいい点が取れるが)あまり意味がないのではないかと思う。
実際、私の生徒に英語を教える際も、現在完了や関係代名詞をマスターできるか否かは、本人が悟れるかどうかにかかっている。つまり、いくらこちらが説明して理論を理解できても、頭の中で自在にイメージできなければ応用が利かない。
逆に、「現在完了について説明してみて」と聞いてすらすらこたえられる生徒は、模試でも常に上位だった。
ノートをキレイにとることの大切さ
私が英語と並行して教えているのが、中学数学である。これもまた、得意な生徒と苦手な生徒にはある大きな違いがある。
それは、「計算式を改行して書いているかどうか」ということだ。これは中学時代に私も教師に指摘され、直したところ成績が上がった経験がある。
数学が苦手な生徒は、とにかくつらい時間を過ごしているため、適当に計算式を書く。特に複雑な分数の計算では、数字を斜線で消して約分する作業が不可欠だ。この時、消した数字と約分して書き直した数字、果ては上の問題に描いた数字がごっちゃになり、計算がわからなくなってしまうのだ。
これで嫌気がさすことによって、ますます数学が嫌いになってしまう。
一方、分数の計算で=のたびに改行し、行と行の間を広く開けて書く生徒は、どの数字を消したか一目瞭然のため、計算式にミスが少ない。ちなみに、図形においても同じことが言える。
面白いことに、数学が大の苦手である生徒が、図形問題は異常に成績がいいという出来事があった。この生徒を受け持っていない教師は驚いていたが、担任の私はすぐに理由がわかった。この生徒は絵をかくのが得意で、美術の成績がすこぶるよかった。そして作図問題と角の計算問題は、「目で見えるからわかりやすい」と言っていたのだ。
大学に入って初めてわかる、今までの勉強の意味
中学生の勉強を教えていると、善かれ悪かれ勉強法について考えさせられる。
語学の効果的な勉強方法、どんなノートをとる生徒が成績を上げているのか、はたまた、こうした彼らの傾向をみて、成績が伸び悩む生徒にどんなアドバイスができるのか。
中学生だった時には、教師のいうことにいちいち反感を持っていた。しかし、今では授業を聞く姿勢の大切さや、教え方を間違った教師だったことまで、判断できるようになった。
子供と接することは体力がいり、話を聞かない生徒や宿題を忘れる生徒を叱ることもある。赤の他人に叱られても平気な顔をしている彼らのメンタルはある意味強いと思う。
「大学に入ったら誰も宿題出せなんて言わないんだぞ、自己責任なんだぞ」と感じつつ、中学時代から課題を出す癖をつけておいてよかったと感じるのも事実だ。いやでも真面目に取り組む姿勢のおかげで、大学に入っても成績はひどくはなっていない。
こうした子供と接する仕事は、今までの概念をひっくり返すような発見にもなる。塾講師は楽ではなかったが、自分のしてきたことを振り返るきっかけになった。