天気は大雨、心も雨模様
私は現在26歳で、大阪市内で働くフリーのライターである。
この経験をした当時はまだ23歳で、社会人になったばかりだった。その頃は不摂生な生活が続き、そのための太り過ぎが原因で、好きな女性にフラれた、どうしようもない男性である。
その日は、寒く震えそうな夜だった。自分への誕生日プレゼントで購入したお気に入りのライダースジャケットが、こんなにも防寒の役に立たなかっただなんて、思いもしなかった。
その日も、気になっていた女性とのデートを終え、帰宅していたところだった。別れた後に今日は楽しかったという連絡を長文で送る。経験上、長文メールを喜んでくれる女性は多かった…。
しかし、その経験と私の期待とは裏腹に、彼女からの返事はただ一言、『そうだね』だけであった。また今回も脈なしか?そう思うほどに、どんどん心が落ちていく。
外の冷たい雨と風が、より一層体に染み渡る。お気に入りのライダースジャケットも、せっかく本格的な高いものを購入したのに、どこか頼りなく思えてしまう。
最寄り駅について、海側にある地元の風が、寒さを厳しく教えてくれる。バイクで帰宅の予定だったため、デートの時もお酒を飲んでいなかったからか、体の芯まですでに冷え切っているところであった。
『さぁ、家に帰って、少し飲酒して寝よう…。』
姿勢が悪いためか、寒さだけで体が痛くなる。姿勢を正して、体の縮こまっていた部分を伸ばす。適度な痛みが体に走り、それが思わず『気持ちいい』と思ってしまうほど、快感に感じる。凝り固まった腰を鳴らし、改札に続く階段を上っていったとき、一人の女性が目に入った。
図々しくも、下心に作用される
女性は酔っているのか、階段の端から端を行ったり来たりしながらも、一歩ずつ着実に改札を上っていった。時折転げ落ちてしまうのではと思うほど、体制を崩してしまうときもあり、冷や汗を感じながら見ていたが、何せ話しかけるほどの余裕はなかった。早く帰りたいという気持ちと、なるべく関わらない方がいいかもしれないという、保守的な考えが頭をよぎったからだ。
女性よりも早く階段を駆け上がり、改札口に切符を通す。駅構内のコンビニでお酒を買い終わり、店を出たタイミングで先ほどの女性が改札口を通過した。
彼女は少しふくよかな体型をしており、膝上ほどの丈のスカート、よくある安そうな素材のライダースジャケットを羽織り、中はパーカーと、割と胸元が開いたカットソーをきていた。こんなに寒い日なのに、タイツやレギンスを履かず、生足だったことが印象として強く残っている。
当時の私は喫煙者だったので、そんな彼女を脇目に、せっせと外に出て、持っていたタバコに火をつけた。こんなに大雨になるとは思わず、バイクで帰宅することを憂鬱に感じながら、その前にタバコのひと時を楽しんでいた。
アメリカ産のタバコが、喉にズシンと重くのしかかる。反応のよくない意中からの連絡を受けたときの気持ちを思い出させるような、タールの重さを感じた。
『ねぇねぇ〜。ちょっと〜お兄さん〜。』
後ろから、誰かが呼んでいる声が聞こえた。振り返ってみると、先ほどの酔っ払った女性が私に話しかけてきた。酔っ払っているのか、自制心が元々ないのか、わずか10メートルほどしか離れていないのに、割と大きな声で話しかけられ、恥ずかしさを覚えた。知っている方であればよかったものの、全く知らない女性だ。しかも相手は相当酔っている。
『お兄さん、タバコ何吸ってるの?』
『ラッキーストライクやで。なんで?』
『タバコなくなってん。ラッキーストライク好きやから一本ちょうだい〜。あとライターも貸して。』
少し酒臭さが残る彼女が、図々しくもタバコをせがんできた。しかもフラフラに酔っているにも関わらず。アルコールとタバコは、一緒に摂取することで強烈な酔いを覚える。彼女はすでにかなり酔っていたが、大丈夫だろうか。そう思いながらも、私も男性。胸元が割と開いたカットソーから見える、溢れんばかりの胸にやられ、タバコを一本渡し、火をつけてあげた。
『お兄さん、家どっち方面?』
『あっち(北)方面やで。』
『私もそっちやねん〜。一緒に帰ろ〜。あと、傘買って〜。』
出会ってまだ2分も経っていない頃だった。こんなに大雨で、私も傘を持っていないことは疑問だったが、それはバイクで来たからである。なぜ彼女は傘を持っていないのだろう。そして、なぜまだ出会って2分ほどしか経っていない彼女のために、傘を買って、バイクを置いて帰らないといけないのだろう。
図々しさに一瞬イラっとするも、カットソーから見える胸元が、私の怒りを沈めた。もしかして、いやもしかすると…気がつくと私は、コンビニで640円の傘を購入していた。男とは、本当に馬鹿な生き物である。
彼女からの、雨宿りの提案
最寄り駅には、まず大きな下り坂があった。雨に泥濘んだこの坂では、時折ダイナミックに転倒する人を見かける。私もその被害者の一人だ。そんな危ない道で、しかもこの日はフラフラの酔っ払いまで抱えている。いつもより一層気をつけながら歩いたのは言うまでもない。合法的に、彼女の体を支えながら歩けたことには、唯一雨に感謝することになった。
彼女の体はふくよかだが、ハリもあって若々しい肌が特徴的だ。せっかく一緒に帰っているので、これも何かの縁かと思い、彼女のことをいろいろと聞いてみた。
年は20歳になったばかりで、今は地元の飲食店で働きながら、将来ネイリストになることを目指しているという。この日は友人に誘われて、クラブのレゲエイベントに参加して来たそうだ。お目当のアーティストのプレイが終わり、ナンパされた男性にたらふくお酒を奢ってもらったものの、立てなくなるほど泥酔し、落ち合った駅で休んでいたそうだ。私が電車を降りる少し前に動き出したものの、酔いが激しく、駅から出られるほど歩くことができなかったそうだ。
『せっかく楽しかったのになぁ〜。もういまはしんどいわ。飲み過ぎた。』
見ればわかる。ふらふら歩きながら、時折転げてしまいそうになるのを支え、体制を整えて歩き出す。いつもは3分で渡りきる道が、この日は10分経っても渡りきることができなかった。
『お兄さん、いまから何するの?』
ふらふらしながらも、彼女は私に話しかけた。酔っていて気持ちがいいのか、表情は常にニコニコしている。愛嬌がいいことは、素晴らしいことではあるが、こちらはいい迷惑である。
『いまから帰るよ。お酒も買ったし、飲んで寝る。』
『えー!もったいない。お酒飲んだら楽しまないと!』
『いや、だってもう夜中やで。眠いし寝たいねん。』
『そうなん?でも明日日曜日やから休みやろ?』
『そうやで。でもしんどいからなぁ〜。』
『明日休みやったらいいやん!それ一緒に飲もうよ。私も飲みたい!』
また、私のものにすがって来た。年下の女の子と知れば、これくらいあげてもいいかなぁと思ってしまうところが怖い。お酒一本程度でケチくさくなる自分も嫌だったので、お酒もあげることにした。
『いいよ、これあげるわ。家で飲み。』
『え〜!一緒にのもうよ!せっかくなんやから!』
『こんな雨やし、俺実家やから無理やろ、一緒に飲むところないやん。』
『じゃあさぁ、あそこで一緒に飲めばいいやん。お兄さんとやったら、別にいいよ?』
彼女は少し遠くの景色を指差した。指先にうつっているのは…地元民に愛されているラブホテルだ。今先ほど出会ったばかりの女性と、ラブホテルにいくなんて、アダルトビデオでしか見たことがない。そんなことって、こんな田舎の駅で起こることなんだろうか。もしかしたら、これは何かしらの罠では…突然怖い人が押しかけ、カツアゲされるなんてことも…疑っている私の手を御構い無しに引っ張って、彼女はせっせと歩いていく。
『雨宿りやからね?』
この言葉に、期待しない男はいるのだろうか。恐ろしい結果を想像しながらも、これから起こることに、胸が踊っていたのは言うまでもない。
出会って30分、昇天の時
地元民に愛されているラブホテルは、入り口を入ると、30ほどのパネルが並び、好きな部屋を選べる…昔ながらの一般的なスタイルだ。彼女はふらふらしながらも、部屋の様子を確認することなく、手っ取り早く部屋のボタンを押した。
『ほら、いこう〜!』
まだここでは、出会って15分ほどしか経っていない。たったの15分で、初めて会った女性とラブホテルにきている。まるで夢のような体験だが、まだ私は疑っていた。もし、怖い人が出て来たらどうしよう。戦えるものはあるのか…そんなことばかり考えていた。体は大きいが、気は小さい私はビクビクしながらも、壁にある光る矢印が示すほうへ、進んで行く。
進んだ先に、彼女が適当に選んだ部屋のドアが現れた。
中に入ると、割と古い作りで、昔ながらのラブホテルの部屋が広がった。大きめのベッド、少し硬めのマットレス。テレビはブラウン管タイプで、地デジ対応はしているようだ。
『あ〜疲れた〜!』
そういうと、持っていたカバンやジャケットを適当に放り出し、彼女はベッドに寝転んだ。スカートからは、白い下着がすでに顔を覗かせている。お酒を持っていた私は、そこから視線を一度外し、買っていたお酒をテーブルの上に置き、また視線を彼女に戻した。
『ほら、お兄さんもこっちおいでよ〜。』
ベッドの空いたスペースをボムボムという鈍い音をたてて叩きながら、私のことを呼んだ。彼女は携帯を触るそぶりも見せていない。怖いお兄さんは、本当に来ないのだろうか。
彼女の言う通り、彼女の隣に寝転ぶ。するとすぐ、私の方を向いて、私の腕にしがみついて来た。
『なぁ、こういうの、なったことある?』
『いや、お姉さんが初めてやで。まさかこんなところに来るなんて思わんかった。』
『私、酔ったらしたくなるねん。お兄さん、体大きくて好みやったから、声かけてもた。』
『それは嬉しいことやね。ありがとう。』
『なぁ、そんなんいいから…はよ、しよ?』
彼女は私の唇に、そっとキスをした。お酒の香りが抜けず、終始アルコールの匂いが残っていたものの、こうしたシチュエーションは初めてだったので、とても興奮したことを覚えている。
私も彼女も当時かなり若かったこともあり、行為が終わってもすぐ、また行為を始めた。1時間半の滞在で、2回の行為を終え、お互い満足した。終了後、彼女は寝息を少し立てていたが、行為が終えると緊張感が途切れてしまうのは、男性の欠点である。夢から醒めたかのようなサバサバした対応で、彼女を起こす。寝ぼけているのか、酔っているのかわからない彼女に服を着せ、ラブホテルを後にした。
帰りは、彼女にタバコとライター、そしてタクシー代を握らせて、タクシーに乗せて帰らせた。その頃にはもう、すでに意識ははっきりしていたのだと思う。持っていた傘も渡し、別れを告げ、彼女を乗せたタクシーは雨の街に消えていった。
私はその足で再度駅に戻り、バイクに乗って自宅へと帰った。その後、疲れ果てたのか、お酒を飲まずして寝てしまったのは、言うまでもない。
再会も虚しく、現実は残る
しばらく、その体験が忘れられず、終電間際の時間に帰って来ることがあれば、改札付近で彼女を探してしまう自分がいた。やましい気持ちを再度味わいたいという、男としての欲求が出ているだけの話で、いたって健康である。
もちろん、ストーカーなどする気は無い。別に彼女の家をつきとめようとか、そんなつもりも一切無い。だからこそ、いなかったらすぐに帰宅する。いてもきっと、何もできないだろうと思ったからである。
それからしばらく経ち、最寄駅のコンビニ前でタバコを吸いながら、友人と談笑していた時のこと。相変わらず愛用のタバコの煙が、喉に重くのしかかる。吐き出す煙も、最初はその強そうな害を煙という形で示してくれたが、だんだん景色に馴染んで行く。繰り返すこと4回ほどで、その一本の命は尽きる。
ポケットに入れていたせいでくしゃくしゃになったソフトパックを取り出し、また新しい一本を加えようとしたとき、見たことのある女性を見かけた。
あの時の彼女だ。いまは夕方。もちろん酔っていない。どこかに遊びにいくところだろうか、以前にも来ていたライダースジャケットが強く記憶に残っている。
会ったらどうせ話しかけられないと思っていたのだが、また何かのチャンスがあれば。そんな下心で体は動かされる。全く持って情けない話である。
『あの…覚えてる?』
それでも躊躇なく話しかけてしまった。情けない話であるが、これも男の性なのだろうか。もう一度、あの時の旨味を味わいたい。そして、そんな関係を続けることができれば、最高にハッピーだ。年齢を疑ってしまうほどの幼稚な本能に、残念とも思えなかった。
しかし、期待とは裏腹に、彼女からの答えは虚しいものだった。
『えっと…どこかでお会いしましたっけ?すみません。』
『あ、ごめんなさい、人違いでした…。』
とっさにそう答えてしまった。覚えていないのであれば、しょうがない。彼女もあの日は相当酔っていた。無理もない。
こういったものは、一種の思い出にしておくほうがいい。あまり欲を出しすぎると、人間いつかドツボにはまってしまうものだ。
友人の話も半分に聞きながら、ポケットにいれて崩れたソフトパックからタバコを取り出し、そっと火をつけて、奇跡的な出来事の思い出に浸っていた。