縁は自分でつかむもの?それとも運んできてもらえるもの?

その出会いはインターネットで見つけた

私が彼に出会ったころ、当時の私は23歳の新米女性会社員で大学時代の失恋にもがいていた時期だった。

新入社員として入った会社ではワンマン社長にイエスマンばかりの社員、嫌味なお局に興味だけで人の私生活をさぐろうとするおばちゃん連中ばかりだった。

一年もする頃には私はすっかりストレスだらけで、この会社からとっとと退職したいと願うようになっていた。

その頃、ちょうどインターネットで出会いを探すというドラマが流行っていた。

そのドラマが好きだったわけでもないし、ドラマに便乗したわけではないが、私はインターネットで出会いを探した。

ここを離れて遠くへ行きたいというのが頭の隅にあったのかもしれないが、とにかくストレスいっぱいの今の生活に変化が欲しいと願ってのことだった。

インターネットの出会いはメジャーになった今でも問題が多いものだが、当時はもっと危険視されていた。

おかげで、付き合い始めてしばらくした頃に家族にその人との出会いがどこだったかの話をしたら大反対されたものだ。

しかし、その反対はいくつかの出来事で覆されていくことになった。

いくつものグッドタイミング

インターネットのとある掲示板で私は出会いを探した。

それまで何人かに「お話ししませんか?」とメールを送ってはいたが、ピンとくる人はいなかった。

この掲示板では会える人いないのかもしれないと思い始めていた時、とある人とメールをかわせるようになった。

最初はお互い無難な趣味の話をして日常会話を楽しむ程度だったが、彼の素直な話に徐々に興味を魅かれていった。

その時までにはお友達感覚でメールを楽しんでいたこともあって、私には数人の異性のメル友ができていた。

そのメル友たちと普通の話をしていただけだが、紳士的な彼のメールに私は自分自身の軽さに嫌気がさしてしまった。

罪悪感から彼に複数の人とメールをしていると話すと翌日からメールが来なくなってしまった。

その頃彼はちょうど休暇中でお友達と休暇を楽しんでいた。私の謝罪メールに半分驚きながら彼は連絡を入れてくれた。

また逆のパターンもあった。私が仕事で出張にいったタイミングで彼から打ち明け話をされ、返信できないタイミングだったため、彼から直接電話があったりした。

この時も笑い話になるぐらいで、私たちの仲はただのメル友から電話でいろんな話をする仲になっていった。

考えてみると、あまりにもタイミングよくお互い連絡が取れない状況からのさらなる発展があったと思える。

奇妙な一致が示す、ただの出会いではないサイン

彼と電話で話すようになってから、少しずつ面白いことが分かるようになった。

例えば、私が好きだったミュージシャンが生まれた日と彼の誕生日が一致していたこと。

私はこのミュージシャンに並々ならぬ縁があり、実はこの日付に関しては不思議な写真を撮ったりした体験をしていた。そのミュージシャンの生まれた日と彼の生まれた日が同じだったことが、私には衝撃の出来事だった。

次に彼に出会ってメールのやりとりをするまでの期間だ。私の両親はどちらも同じ月の生まれなのだが、その二人の誕生日の間の期間で出会っていた。これは後からわかったことだ。

他にもある。私たちはそれぞれ断念はしたものの同じ職業を目指そうとしていたことだ。

小さい時に「太陽にほえろ」を見ていた私にとって刑事や警察官はあこがれの職業だった。

ただ、私は身長に恵まれず警察官になることはあきらめた。彼も警察官になろうとしていたが、危険だからと親族の反対などにあい断念したのだという。

また、一度就職を考えた会社が実は彼の職場の近くだったのだ。彼と話していていろんなことがわかるうちに、この出会いでなくとも出会えるように伏線がいくつもあったように感じた。

夢に出てきた亡くなった祖母が微笑んでくれた

極めつけは亡くなった祖母だ。私と彼が付き合い始めたころ、10年ほど前に亡くなった祖母が夢に出てきたことがあった。

私と祖母はこそまで仲が良い関係ではなかった。一緒に住んでいて母のことを悪くいう事もあったし、介護の手伝いのようなことをさせられていたこともあって疎ましく思っていた時期もあった。

多感な頃だったせいもあるが、私にとって祖母は家族の一員ではあるけれど、心から喜べない気持ちを含んでいる家族でもあった。

その祖母が夢に出てきて微笑んでいた。私には霊感らしい霊感はない。ただし第六感に近い感覚のものがあって、私は何かと夢でそれをみることが多かった。

虫の知らせをもらうこともあったし、亡くなった親戚の感情というか気持ちのようなものが自分に流れ込んでくる感覚みたいなものもあった。

直観だとしか言いようがないが、その感覚のおかげで私にはそれまでいくつかの不思議な体験があった。そして、今度は祖母が私の夢に現れてその人とのお付き合いを見守ってくれているように感じた。

亡くなってから時々仏壇にお茶を備えたり、毎年墓参りに行ってたせいかもしれないなと今では思う。祖母の夢を家族に話すとそれまでの体験もあってか、家族はそれまで大反対だったが少しずつ温かく見守ってくれるようになった。

どんな感覚も磨くことの大切さ

よく恋愛に励もうとして「私〇〇磨きをしています!」という話を聞く。

恋愛の出会いやきっかけを自分磨きをして努力することでつかもうとすることは素晴らしいことだと思う。

ただ感覚を研ぎ澄ませれば、注意信号がどこかしらから出ている恋愛というのも多いような気がする。

もちろん、誰にでもこういった直観の感覚というのを感じろというのは難しいかもしれない。でも、運というのは必ずしも自分から努力して得られるばかりのことではない気がする。

ただの偶然だといえばそうなのかもしれない。しかし、私にとってはいくつもの奇妙な一致の伏線が存在した。他人にとってはわからない小さなことも含めるともっとある。

亡くなったご先祖様なのか、神様なのか運をくれる人がどんな人なのかはわからない。けれど、何かしらの力が働いていたのか?と思えるような場面は後から考えてみるといくつもあった。

こういった不思議な何かを感じ取る感覚も必要なんじゃないかと思う。例えば、亡くなった人のお墓に一年に一度はお参りに行くとか、先祖を大事にしてみることで養うことができる感覚なのかもしれない。

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