科学の進歩について、みなさん正直どのようにお考えでしょうか?
今、2045年には人間の知能をAIが上回るシンギュラリティが訪れるといわれています。実際にこれから人間社会がどうなっていくのか、便利な時代が来ると一言で言いきってしまっていいのかどうか、本音で語りたいと思います。
近現代社会の科学の進歩による我々の生活
現代社会から見たシンギュラリティは、昭和初期から見た我々の現代社会といえるのではないでしょうか。もちろん、どんどんその進歩の速度が進んでいますので一概には言えませんが。
科学の進歩は生命科学、宇宙科学、物理学と本当にすべての分野で目覚ましい進歩を続けているといえるでしょう。
いつのまにか、我々が生きている中でもそのスピードはどんどん上がっているといえるでしょう。
わかりやすいのがスマートフォン。
一昔前はフィーチャーフォンが主流だったのが世界すべてがあっというまにスマートフォンに入れ替わってしまったのですから。
今後の人間社会の背景の変化について
では、なぜこのようにすべての分野で科学の進歩は進んでいるのでしょうか。
これには人間社会の大きな背景の変化も影響しているのではないでしょうか。
人間社会の変化、個人的にいくつか考えてみました。
例えば、人口爆発です。今は世界人口60億人、これから最大80億人まで世界人口は膨れ上がるといわれています。そうなるともちろんのこと、問題になるのは水と食料になるでしょう。
そうでなくとも、人口が増えることで産業や住居に面積を割く必要があり、自然が減れば、必然的に人間の糧となる水や食料も不足してきます。
これを解消するために、科学が発達して食料をいかに効率的に賄うかということになります。
また、人間は少しでも若く、長く生きたいということは変わらない欲求です。
だからこそ、医学の進歩が進み、外科の進歩、さらには夢の創薬という事実が出てきます。
再生医療もいつのまにか動物の臓器を人間に使えないかというところまで進んでいるわけですから。
さらにエネルギー事情もそうです。人口が増えれば、当然のことながらエネルギーも必要になります。自然エネルギーを有効に使って、かつ、効率的に利用できるエネルギーの開発は時代の要請といえるのではないかと思います。
科学の進歩について考えてみました
では科学の進歩は人間にとって何を意味するのでしょうか?
それは生活を便利にするため?
人間という動物をさらに進化させるため?
いろいろな考え方があります。しかし、考えてもみてください。
人間の生活は科学によって便利になったことは言うまでもありません。しかし、本能といいますが第六感といいますか、動物本来の機能は進歩どころか退化しているといえないでしょうか。
猿から類人猿、そして人間に進化するにつれて、言葉を身に着け、道具を使いこなすようになりましたが、本能の部分では反比例して退化しているように個人的には感じています。
これは決して、科学の進歩を否定しているわけではありません。地球が生まれて48億年、恐竜が滅亡したのが6000万年前、そして人間が地上に現れたのはなんとまだ1万年前です。
これだけの短い歴史の中で人間は考えようもない進化を遂げたわけです。それも科学の進歩がなければ、ありえない現象であることは誰もが認めるでしょう。
人間という存在が何か問われます
ここまで科学が進歩してしまうと、これからは1万年の歴史を誇る人間の存在が問われるのではないかと思います。
前述のとおり、48億年の歴史のうち、1万年しか歴史を重ねていない人間。それが今は地球上を我が物顔で科学の進歩という武器で闊歩しています。そして、その人間のエゴで48億年の歴史を誇る地球上の生態系が大きく崩れようとしています。
この事実はもちろん人間もよくわかっているところです。しかし、それでもなお、科学の進歩を止めることなく、人間の存在感を強めるために地球上でそのエゴを発揮し続けているのです。
この人間の存在を客観的にとらえた際にほかの生態系から考えたら、逆に大きな脅威としかいえないのではないでしょうか。
これは考えようですが、ペットとの付き合い、動物園、水族館についても人間と対等にとらえている場合もありますが、あくまでも主従関係でいえば、科学の力で進化して人間の従者としての動物という構図にかわりはありません。
少しうがった見方かもしれませんが、人間の存在は、科学の進歩を享受したその人間の存在はこれからの地球の存続にとってプラスの存在なのかどうか。
きっとこれからそれが問われる時代に突入していくのではないでしょうか。たまに寝床で考えてしまう自分がいます。
シンギュラリティはくるのか
では、今叫ばれている2045年のシンギュラリティは本当に来るのでしょうか。
すでにAIの進化で、弁護士や各種有資格者など過去のデータを蓄積することで成立する仕事がなくなってしまうという懸念が抱かれています。また、過去では考えられなかった囲碁や将棋、チェスの世界でAIのディープラーニングで学んだコンピュータが人間のトップに勝ってしまう事象まで発生しています。
さらに自動運転の実現、着床後のDNA鑑定で堕胎を選ぶ診療など本当に信じられない話がどんどん実現しています。
一昔前には未来予想図を毎年描くような特集をあちこちで見かけましたが、今はあまりにもその進歩が速すぎて何が10年後、20年後に起こるのか予測できないという事態に陥っているくらいです。
鑑みるに科学が人間を超えてしまう時代、いわゆるシンギュラリティがやってきても誰も驚かないということです。
しかし、科学の進歩を持って、何をもってシンギュラリティと呼ぶのかそのポイントの考え方も難しいのが現状です。
もちろん、人間の知能を超えることはある分野では可能かもしれませんが、本当にすべてにおいて科学が人間を越えることが可能かどうか。こればかりは誰も分からないというのが現状です。
最後は人間の倫理感にすべてゆだねられる
シンギュラリティが本当にやってくるのか?
やってくるならいつやってくるのか?
これは今のところ、その定義も含めてなかなか難しいところです。しかし、科学の進歩は間違いなくこれからも続くでしょう。
こうなった際に何よりも大事なのは人間の倫理観。要するにこれがすべてではないでしょうか。
例えば、噂でロシアのプーチン大統領が知識や経験、脳はそのままで、体だけは別に持ち永遠に権力を持ち続けるという話があります。
実際にこのような事象を科学の進歩で実現できる日もくるでしょう。
極点な事例かもしれませんがこれは本当に実現しても構わないのでしょうか?
人間の倫理観に照らした際におそらくNOという方がほとんどでしょう。しかし、自分の愛する人間がこのような形で生き続けることができるなら構わないという考え方も可能です。
ようするに、善悪で判断できることもなく、頼るべくは人間の倫理観そのものです。1万年の歴史の中で培った歴史の中で、培った人間の倫理観を頼りにこうした科学の進歩を受け入れて採用すべきかどうかを判断していかねばなりません。
非常に難しい問題ですが、間違いなく近い将来に我々人間が直面する大きな問題になってきます。そのときに我々がどんな判断を下すのか。自分自身も含め、いろいろ考えてみたいと思います。