巨大地震が×月×日に来る系の記事に無闇に恐れちゃいけない

巨大地震

みんなうろたえすぎ

○月◯日、✕✕地方に巨大地震が来ます

みたいな記事ってよく見かけるよね。

あれ、どう思う?

わたしもちょっと前まではいちいち気にしてたんだけど、なんかそれも違うんじゃないかって思うようになったんだ。

わたし今、東日本大震災で被災した地域に住んでるんだ。2016年11月にあった、福島県沖地震で起こった津波の時も、防災無線が鳴り響いて、一次避難したよ。

この一年くらいそこで生活してて、最初はホント怖かったんだけど、いろんな人の話を聞いたり、防災減災について研究してる人とかと会ったりしてるうちに、少しずつ、むやみに恐れることがなくなっていった。

一人の時にちょっとでも揺れたりすると、それだけでほとんどパニックになってたし、震度3くらいでも怖くて実家に電話かけたこともある。毎日、地震観測地を更新してるアプリも見てるし、たぶんかなり敏感。でも、むやみに恐れるとか、むやみにうろたえるっていうのが、実は一番いけないことだったんだ。

実際来てみたら、思ってたよりも怖くなかった

2011年3月11日の巨大地震の惨禍(さんか)を、たぶんみんな一度はニュースとかで見たことがあると思うんだ。写真とか動画とか、よくこの状況で撮ってたなっていうようなキワドイやつも。

高速道路が倒れてたり、町一面焼け野原になってたり、引き波に持って行かれて、ガレキだけが残ってたりするような写真や映像を見て、巨大地震が起こるとこんなことになるんだって、怖くなるよね。

そして実際、巨大地震が来てしまったら、そうなる可能性はゼロじゃない。

たくさんの被害が出てしまうことも、残念だけど予想されている通りに、ある程度はなってしまうんじゃないかって思う。

私はそういう話を山ほど聞いたせいで、想像の中での災害がどんどん膨らんじゃったんだよね。もうホント、震度1の地震ですらめちゃくちゃ怖かった。家が揺れる音が、狂いそうなくらい怖かった。

夢にも見た。
そして、去年の地震では本当に津波が来た。
本当に来た。

当時の報道では、仙台空港の1メートル40センチの津波が最も高かったように言われてるけど、ローカルニュースを見てると、波のあがった箇所を調べると3メートル近くまであがっていたところもあったんだ。3メートルの津波だと、人はもう全然歯が立たないよね。

あの時も、海の仕事には被害が出たんだ。養殖の棚が壊れたり、が沈んだりしたんだって。

私の住んでる家は、東日本大震災のときの津波が、ちょうど庭まで来て引いていったくらいの、ある程度の高台にある。避難所指定された建物もすぐ近くにある。

わたしはその日、地震から30分ほどで津波が来るおそれがあるというニュースを見て、まず急いで着替えた。朝一番だったからパジャマだったんだ。11月にしては寒すぎない朝だったけど、なるべくたくさん着こんで、それからお湯をわかした。避難が長時間になったとき、身体を冷やすと疲労が溜まってしまうから。

30分近く経っても津波は来なかったけど、居ても立ってもいられなくて避難した。携帯電話にいろんな人からメッセージとか電話が入って、でも短いメッセージをすこしずつ返すだけにとどめておいたよ。もしかしたら、混線すると困る人がいるかもしれないからね。

SNS上でだけ、安否確認を出して、それで落ち着くまで待ってた。その日は10メートルをこすような、バケモノ級の津波は来なかった。その時思ったのは、むやみにおそれちゃいけないってことだった。

誤報事件

昨年は誤報もあったよね。東京都周辺に最大震度7の地震が起きたというような、あってはならない誤報だったと思う。

あちこちで巨大地震が来るぞ、って内容の記事も見たけど来なかった。実際に九州とか中国地方でも大きな地震はあったけど、その時だって、先に予測して地震が来るぞって言った人はどれくらいいただろう。後になって、あの雲がそうだったんだ、なんて話は聞くけど、いったい誰が災害を防げただろうね。

正確に備える

正確にっていうのが、なにをもって正確かはわかんない。でも、少なくとも備えることは大事だよ。備えるっていっても、水を買ったり、保存食を置いといたりっていうのもひとつ。家具を固定するのもひとつ。

でも、それよりもっと大事なことがあると思う。

わたしはそれを、むやみにおそれないことだと思っている。

無闇に恐れてた時、私は実際に起こっていることの、事の大きさを測れなかった。どれも等しく、めっちゃ怖いってだけで、本当にヤバい現象なのかどうかを冷静に判断できなかった

それに、そこの見極めっていうのはたぶん、初めて経験する災害では判断できないとも思う。だって、経験したことがないんだから。

でも、それが起こった時、例えばカタカタって、小さな地震が始まったり、その前にゴゴゴゴゴって地鳴りがし始めた時に、まずは冷静になって、自分の安全を確保しながら、相手(地震)の出方をうかがうことができるかどうかが大事なんじゃないかって、最近やっと思うようになった。

これまでは怖いから、布団を被っておさまるのを待ってるだけ、背中丸めてじっとしてるだけだった。だけど、本気でヤバい時は待ってるだけじゃダメなんだよね。

実際、東日本大震災のとき、揺れは3分間続いたって言われてるんだ。最初の3分で、逃げ始めなきゃ間に合わないこともあると思うし、少なくとも家具が倒れたり、ひどかったら家ごと倒壊してしまうことだってあると思うんだよね。そういう時に、じっとしてる人は、どうなるだろう。これまでの私はたぶん、タダじゃ済まなかったと思うんだ。

最近やっと冷静になって、ちゃんと判断しなきゃいけないってわかって、それで、すこしの揺れを感じるとまず、自分の今いる部屋の扉を開けるようになった。

それで、逃げ道を確保しながら次の展開を待つ。

なかなか揺れがおさまらなかったり、大きくなる時は、玄関扉も開けて、防災無線が聞こえないか、周りの様子はどうか確認する。

揺れがおさまっても、小さな地震でも大きな津波が起こることはあるから、しばらくは扉を開けたままにして、テレビをつけるか携帯ニュースを見る。情報収集して、安全が確認できてから扉を閉めて、それまで通りの生活に戻るようになった。

それでもまだまだ恐れすぎてるなっていう感じはするんだよね。

周りの人達はみんな結構シレッとしてて、まあ、これくらいなんでもないよって顔をしてる。

それでも、たくさんの人が恐れてるように、巨大地震はいつ来るかわからないよね。

それはその通りだと思う。

ずっと言われてる南海トラフだって、私ちょっとだけ調べてみたんだけどね、だいたい200年に一回ずつくらい来てるんだ。でもその計算で行くと、1900年代に一度、来てないとおかしいことになる。

地震って結局プレートの問題だから、ある程度、定期的に来て当たり前だと思うんだけど、そうするとさ、もう2000年をとっくに超えてしまってる今って、本当に今日明日に巨大地震が起きてもおかしくないし、それに誘発されて各地で連動的に地震が起きてもおかしくない。

なんでっていうと、過去にそういう事例が実際にあるから。

近年、大きな災害が起きるたびに、「この地域でそういう災害が起きるとは思わなかった」とか「未曾有の災害」とかってことばが聞かれるけど、この災害大国で、起こるはずのない災害なんてないし、大抵は過去によく似た災害が起こってるんだよね。知らないだけ。

だから、巨大地震が来る系の記事を見て、ただいたずらにうろたえたって、それはなんの備えにもならないし、むしろ本当に事が起きたとき、想像力が邪魔をしちゃうことだってある。

備えあれば憂いなしっていうけど、まずは冷静になる習慣が、実は一番の備えになるんじゃないかなって、わたしは思うんだ。

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