お前ら「日本死ね」って言いたいだけちゃうんか

保育園落ちた日本死ね

今となっては古い話題だけど。未だにモヤモヤするのが、例の「保育園落ちた日本死ね流行語大賞受賞事件(もう「事件」って呼んでいいと思う)。

何がモヤモヤするって、「いったい保育園待機児童問題はどこに行っちゃったの?」ってところ。

肝心の待機児童問題そっちのけで、後半の「日本死ね」だけが問題になって、まあ「流行したといえば流行した」って状態になって、そして流行が終わっちゃったというところ。

 話題になったように、批判派からは「死ね」という言葉は

  • 「公共の場で言葉を使うべきでない」
  • 「流行語大賞という賞にふさわしい表現ではない」

という主張があって、それはよく分かる。

それに対する反論で「それだけ待機児童問題に対する怒りが強いのだ」という主張があって、それも、本当にこれだけなら分かる。

私自身は子供はいるけれど、保育園の年齢を過ぎたところ。赤ちゃんから手が離れるまでの間、私自身が病気になって寝たり起きたりだったから、直接待機児童問題に苦しんだわけではない。

それに地方住まいで、それほど保育園の待機児童問題が深刻ではなくて日常では直接見聞きはしなかった。

ただ、大学は首都圏だったから、学生時代の友人が待機児童問題にぶち当たっていたのは聞いていた。新聞や雑誌(なんかAERAでよく見たような気がする)で取り上げられているのを見ていて、「ああ、彼女が言っていたのはコレなんだな」って思っていた。

AERAと政治的なカラーが正反対の「2ちゃんねる」でも、保育園に入るためのいわゆる「保活」の理不尽さって、既婚女性板とかで見かけて、大変だよなと思ってた。だから、「保育園落ちた日本死ね」のブログの全文については同意する。お世辞にも上品な表現ではないけど、妙にテンポが良くて文章も上手いなと思う。

でも。

これが「流行」したのって、保育園待機児童問題と別のところにあるんじゃないのかな。当事者不在だったし、今もそうだと思う。

当事者って、「待機児童を持つ母親」のことだけど、そもそもこの当事者が少ない。少子化ってことは「子を持つ母」も少ないわけで(だって、一人のお母さんが一人以上の子どもを産むわけだから)。

さらに私みたいに、子供が小さい時に事情があって(母親自身が病気とか、家族の介護を抱えていて)待機児童問題とは距離がある場合もあるし。

こういうわけで「待機児童を持つ母親」の絶対数が少ない

しかも、そのうえ、この「待機児童を持つ母親」って存在が流動的なんだよね。子供はいつか大きくなるから、何とかやりくりして小学生の中学年にでもなれば何とかなってしまう。

何年か我慢してたら、どうにかなるかもしれない人たちもいる。だから、一人のお母さんが待機児童問題の純粋な当事者である時期も限られる。

だから、事実としては「そんなにたくさんの人に熱意をもって流行していたわけではない」ということになる。

流行語大賞に批判的な人が「そもそも流行っていたっけ?」と疑問を呈するのも、事実に即していると思う。ただ、だから問題じゃないわけじゃなくて。そうして、継続的に熱意をもって問題視する純粋な当事者は少ないけれど、社会としてはもちろん大問題なわけで。

そこを鋭くえぐったあのブログの書き手さんは偉いと思うし、「流行語大賞」の選定委員会が「流行にしちゃった」のも、”単に保育園待機児童問題についてだったら”結果オーライで良かったと言えたと思う。

 どうしても「あくまで保育園待機児童問題についてならば」ってクドイほど言いたくなるのは、その後「日本死ね」だけが話題になっちゃったところが、どうしても納得いかないから

2ちゃんねる」とかのネットでは、「祖国にそんな暴言を吐くなんて」「日本人が言うべき言葉じゃない」ってそこが問題になるし。いわゆるリベラルの人たちは「自国の政府を批判するのは健全なこと」「それだけ現政権に対する怒りが存在しているのだ」って言い始めて、政権批判をするべきなんだって主張に終始するし。

保育園の待機児童問題が霞んじゃってるじゃないの。問題提起としてあのブログが優れているのは確かだけど、待機児童問題の矛盾を的確に示す部分って、「日本死ね」じゃなくて、むしろ「どうすんだよ私活躍できねーじゃねーか」ってところだと思うんだよね。

ホント、社会が女性に望むことって「ご都合主義」っていうか「調子いい」っていうか。

私、学生時代は社会科学系の学部だったから、フェミニズム関係の講義とかもチラッと聞いていたこともあったんだけど、今、マスコミとかで発言量の多い自称リベラルな人たちって、「女子供」=「反戦平和」「国家権力に対抗する正義」って構図で話すけれど、その軍国時代の時には「国防婦人会」ってもんがありましてね。家庭に閉じ込められた主婦が家の外にでる良い口実になって「女性の社会参加」になっていたっていう歴史的事実もある。

「男性と同じに」「男性に負けずに」っていうことで、男性と一緒になって軍国主義の片棒を担いでた面も女性解放運動の一面にあった。

戦後の高度経済成長期になると、企業戦士として働く男性を、無償でサポートする「専業主婦」が推奨されて、社会全体もそれを前提にして組みあがっていたから今から見ると専業主婦優遇策もあった。

今問題の年金の3号被保険者問題

私自身は健康上の理由で小遣い稼ぎしか出来ないから恩恵を被っている方だけど、そりゃガッツリ稼いでいる女性からみたらムカつくだろうなあと思うもの。

でも、今だってそういう家庭もあると思うけれど、夫婦の片方が激務で多忙でとうてい共働きが無理っていう時代があって、そこで男性を「社畜」としてこき使って経済成長するには性別役割が効率的だったんだよね。で、今、「少子高齢化で労働力が少ないから働け」ってのが社会の言い分なんでしょ?

社会って勝手だよなーって思う

誤解のないように言っておくと、女性も働いて収入を持つべきだと思ってるんですよ。やはり経済的に自立できないと、それが弱みになってしまうし。DVとか深刻な問題だもの。それに1馬力でやっててその1馬力の夫が何かの事情で働けなくなったら大変だしね。だから、女性が女性自身のために、自分の身を立てる程度の収入はあった方が良いと思う。

もう一回歴史の話に戻るね。

フェミの人でこういうことを言う人が居て、ちょっと微妙だなあっていう主張に「専業主婦は高度経済成長期に偶然に誕生したもの。昔から女性は労働していた」っていうのがある。

高校までの歴史で習ったよね、「士農工商」ってあるけれど、人口の8割は農民だったとかってそういうの。ちょっと話ずれるけど、スピリチュアル系で「自分の前世はお姫様だった」とか言う人がいるけど、それ確率的にナイから。

世の中の大半が農民か商人だったわけで、農家や商家の女性ってそりゃ家業に従事してましたよ。田植えとか稲刈りとか家族総出だもの。今でも農家や自営業の奥さんって、自分とこの仕事で忙しいよね。だから、昔から女性が働いていたのは事実「男は仕事、女は家事という性別役割分業が日本の伝統」っていうのはガセ。

ここで、名誉男性な女性たちが上から目線で「だからオンナだって働かなくちゃ」(「私たちみたいにね、フフン」)なんて言うのも、ちょっと違う。だって、今、都市部で働くっていうのは職住分離なんだもの。

昔は自宅や自宅から歩いて行ける範囲で農業なり商業なり営んでいたけど、今は電車で1時間以上離れた所に「職場」があるっていうのが標準的。

それに、昔は子だくさんだったから、上の子が下の子の面倒見てたし。義務教育も無けりゃ、労働基準法もなかったんだから。

祖父母や親せきに囲まれて暮らしていたりして、育児の手が身近にたくさんあった。名誉男性な女性って、その辺が昔並みに恵まれていた人も多いんじゃない?

実親と同居か近居しているとか、弁護士とか医者とか高度専門職でライフスタイルに合わせて働ける(自宅開業も可能)とか。

「働く女」がそういう特殊な存在でなくなってきて、いよいよ登場したのが「保育園待機児童問題」。職住分離の現代に「女性も男性並みに働け」って言われたら、こうなるのは必然なんだよね。

赤ちゃんからしばらくは誰かがお世話しないと子供は生きていけないんだし、誰もが育児の引き受け手を自前でやりくりできるわけじゃない。だから、そこが解決されないと女性が働けないってことになる。

「女性も活躍」っていうのが、これまで「家事と育児は誰かにやって貰って働くだけだった男性」と同じように働くということを意味するのなら、そりゃ、女性だってその「家事と育児」を誰かにやってもらわなきゃ。

特例じゃなくて当たり前の一般的な姿にしたいのなら、当たり前に育児の担い手が見つかる社会でないと無理だよね。だのに、今の社会ではそっちが遅れてるんだから矛盾している。まさに「どうすんだよ、私活躍できねーじゃねーか」って本当にそうだよ。

少子高齢化で労働力が不足するんでしょ?女性も働くべきなんでしょ?だったら日本にどうにかしてもらわないと。「死んで」もらっちゃ困るのよ。例のブログだって、「日本死ね」が結論じゃないじゃん。「虫のいいことばっかいいやがって」というのが主題でしょ。なのに、「日本死ね」という言葉だけが独り歩きしちゃっている。

で、この流行語大賞で「日本死ね」を推しているメンバーに「当事者がいない」。まあ、確率で言えばしょうがない。前に言ったけど、今の日本で「母親」自体が少ないうえに、その「母親」の全てが待機児童問題にぶち当たるわけでもないし、ぶち当たっても誰も助けてくれずにどうにかこうにかやっている内に子供は大きく育っていくし。

で、流行語大賞を選ぶ人で、まあ当事者と言えるのは、幼稚園義務教育を提唱した社会学者とか育児経験のある女流歌人くらいで、あとは普段から「政権批判」「社会批判」をすることでご飯を食べている人たち。

まあ、ネトウヨでなくても「何だかなあ」って思うよね。単に「日本死ね」が言いたいだけの人が、待機児童問題にのっかかっているだけなんじゃないのって。

お前「日本死ね」って言いたいだけちゃうんか。

問い詰めたい、小一時間問い詰めたい。

ウィキペディアを読むと、この言葉が流行語になろうがなるまいが、一応政治家やお役所がそれなりに対処はしてるんだよね。そうだよね。なんか選挙のたんびに「女性が安心して子育てできる社会を」ってどの候補者でも言っているもの、ずっと前から。

ただ、当事者が少なくて、継続的に取り組んでいるのがお役所くらいになっちゃう。で、例のブログ書いた人みたいに待機児童問題にまともにぶち当たって、ブチ切れる思いの女性もまだまだいる。

「流行語」で終わらせちゃあイケナイ問題なんだよね。

ずっと昔、オウム事件のあった年。そりゃあ当時のマスコミでも、大人も子供の間でもオウム関連用語が大流行してましたよ。でも、その年の流行語大賞では「あえて」選ばなかったということがあった。

私、これって英断だと今でも思う。2016年の「保育園落ちた日本死ね」だって、「流行」にしちゃイケナイでしょ。「流行」ってカルいものでしょ、本来は。なんかそこに政治的意味を込めるからおかしいんだと思う。

そんなに政治的意味を持たせたいなら、他人の言葉に乗っかるんじゃなくて、自分でも発信に取り組んでほしい。流行語大賞の選定委員会でそれを選んだ人は、「選定後何年間かはそのテーマで何かを発信し続けること」っていうのを義務にしてくれないかな。

ホント、「日本死ね」で終わる問題じゃないもの。さっきから私、「女性の問題」って書いてきたけど、ちょっと考えれば「あれ?女性だけの問題だっけ?」って思う。

男女平等って、「今まで家事育児をしないで済んできた男性」が正しくて、女性が間違っているから男性に合わせるってことじゃないよね?って思う。

男女とももうちょっと人間らしい範囲の労働時間で、家事育児も取り組めればいいと思う。あと、私は地方住まいだから待機児童の深刻さにぶち当たった訳じゃなくて、こんなこと書いたら怒られるかもしれないけど、これって首都圏の問題じゃない?保育園ってそもそも地方自治体が設置するものだから、「日本死ね」じゃなくて当該の自治体の責任だよ

もっとも、じゃあ地方がパラダイスかっていうとそうじゃなくて。あまり体が本調子でない私でも働けるような、軽作業や事務の仕事が地方になくて、これはこれで私も困っているところ。

なんかバランスが上手くいかないよね。地方にも仕事があれば、保育園の受け皿の地方間格差も自然に埋まりそうなんだけどね。交通網が整備されるとか、ネットで自宅で仕事が出来るようになれば変わるのかもしれない。

この辺りは、地方自治体じゃなくて、日本って言う国の問題だけど。国っていってももう厚生労働省とかじゃなくて、経済産業省とか国土交通省も巻き込む問題だよね。それに企業が新しくて柔軟な雇用関係を整えてくれないとね。

で、一周回ってもう一度「流行語大賞」の選定委員に言いたい。

東京中心で、政権批判さえしとけば安泰だっていう固い頭をどうにかしてくれ。

自分の考えの足りなさを「流行だから」でごまかすのをやめてくれ。

一応「知識人」っていうくくりで選ばれてるんでしょ。あなた達より、考えている人だっているよ。お役所とか、社会科学系の学者とか、地道にこのテーマを追っているノンフィクションライターとか、あなたたちほど有名ではないけれど、もっと詳しい人もいるよ。数は少ないけど今ぶち当たっている当事者や、かつて当事者だった人たち。そういう人達だっている。

こういう人たちに教えを乞うて、更に「自分が流行語に選んだ理由」を詳しく調べて考えて定期的に世に問うて欲しいな。そうしたら、本当に政治的な流行語が、政治的な問題になって、少しでも具体的に改善につながると私は思う。

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