少子化が問題、共働きができるように、などといった問題はよく言われていることですが、本気で改善しようと思っている人なんていないと思ってしまう。
だって、少子化をどうにかしたいのなら子育てをする人が負担を感じないような環境の整備が必要だけど整えようという動きがない。
相変わらず、子連れで外出すると心無いサラリーマンの目は痛い。子どもがいて共働きであれば保育園の利用は必須だけれども、いまだに保育園の整備はできていない。
今の日本は本当に子育てが難しい環境だと思う。
日本で誰が子どもの数を増やしたいの?
最近ではなくて、かなり以前から少子高齢化社会っていわれていて多くのマスメディアが子どもの数が少ないのが問題だと言っている。でも子どもの数が少ないと何が問題なの?って言いたくなることがある。
もちろん、子どもの数が少ないということは将来的に税金を払う人も年金を払う人も減ってしまうわけだし、労働力も減ってしまうから、子ども世代の負担が増える。それは理解できる。
だったら子どもの負担を減らせばいいんじゃないかって思うんですよ。
だって高齢者を若い人が抱える社会だから若い人が大変なのであれば、高齢者を抱えるのをやめたらいいんじゃない?そうすれば子どもの数とか言う人も減るかもしれない。
現実問題として、各家庭では子どもをたくさん持ちたいと考えている人は少ないし、子どもを持たないことを選択したい夫婦だっている。子どもを作るとしても1人が限界と考えている人は数多くいるはず。
結局子どもの減少を問題視しているのは老後にラクをしたい高齢者であって各家庭なんかじゃない。
なんでたくさんの子どもが必要かと言ったら、極言すれば「お金」。
若い人ばかりが搾取されるこの今の社会で、子どもに馬車馬のように働かせる将来なんて可愛そうだとは思わないのが不思議。
そもそも税金を増やしたいのなら、まずは国会議員の給料を一律手取り月額20万円まで減らしてからにしたほうがいいと思う。
だいたい家庭では支出は収入の範囲内でってよく言われているのになぜ税金は税収の範囲内で使用されないのか全くもって理解できない。
子どもを増やそうなんて公で言っている人ほど自分の老後の心配をしているんだと思う。
子どもと母親に冷たい環境だと思うんですけど
子どもを増やそうって言っている割には日本の社会は本当に母親と子どもに冷たい環境が整っていると思う。
こう言うとまた批判する人も出てくるんだろうけど、これは事実。日本にいたら本当に子どもを連れて外出なんてしたくないと思ってしまうから。
子どもを連れて外出するのならできるだけ人ごみを避けて、人の少ない時間帯に、と母親であれば多くの人が考えていることだと思う。
子どものことを考えれば、混雑している電車に乗りたくないし、電車の中で迷惑そうな顔を向ける人なんかに遭遇すれば気分が悪くなるだけ。
母親であれば多くの人はそれは承知の上でいるけれども、どうしてもそういった時間帯に外出しなければならない状況もでてくる。
手のかかる子どもが2人もいれば早めに準備して外出をしようと思っていても子どもの準備に予想以上に時間がかかってしまって外出する時間が遅れてしまうこともよくあること。
それでも何とか頑張って準備をして外出するとすでに混雑している時間帯にかち合ってしまった、という経験をしたことのある人もいるんじゃないかって思う。でも本当にそういった子連れの母親に対して社会は冷たい。
優先座席なんて使用するのも申し訳なくなってしまうほど他人の視線が痛い。「何でこんな時間に子連れで公共交通機関を使ってるんだ」と言われているかのよう。
これが他の国であれば、なぜか子連れの親に対しては本当に皆親切で罪の意識を感じずに外出することができる。
で、自分が子連れで外出して本当に多くの人に親切にしてもらったから、いつか自分が同じような状況に出くわしたときには子連れの親には親切にしてあげなきゃ、って感じる。
こういう子連れの親に対する親切な心って実は自分が経験したからこそ次は自分が親切にしてあげなきゃっていう思いからくるものだと思う。
だからこういった経験をせずに過ごしていれば多くの人は子連れの親を見ても他人事と思って無視するし、酷い場合には混雑した時間帯に子連れで外出するのは非常識、なんて批判をしたりもすることになる。
結果的に子連れの親は、外出するといつもどこか罪悪感のようなものを感じてしまうケースが多くなってしまう。そうすると外出もしたくなくなりますよね。
子どもと家にこもりっきりになるとイライラしてくるし、それがストレスとなってしまえば虐待につながることもあるんじゃないかと思ってしまう。
こういう環境って本当に子育てには適していないと思う。
自己責任って悪い意味で使われている感じがする
他人に迷惑をかけるのは悪いこと、というのはもちろん認識している。でも、子育てって時には他人に迷惑をかけながらしていくものでもあると思う。
前にも言った、母親が混雑している公共交通機関を利用するのはおかしい、みたいな空気、それも「自己責任」ということからきているはず。
母親であっても自分だったら混雑する時間帯は避けて外出していた、なんていう人も少なからずいる。
なんていうか、自分が頑張って「自己責任」で大変な思いをして子育てをしたからあなたも同じように大変な思いをして子育てするべき、みたいな無言の圧力があるようにも感じる。
裏返せばこれって自分が辛い思いを経験したんだから、他の人も辛い思いをするべきっていうことでしょう?
ということは、もし多くの人が子連れの親が外出しやすい環境を提供してあげれば、その親切を経験した人も同じように他の人に子連れの親に外出しやすい環境を提供するようになるんじゃないかなぁ。
なんだか自己責任って本当に苦しくて重くのしかかってくる言葉ですよね。
子育てのストレスを理解できない人も多い?
必死になって子どもの数を増やさなきゃ、なんて言っている人がいるけど、私は理解ができない。
もちろん、子どもの数が自然に増えることは賛成。だけど、やみくもに子どもを増やすのもどうかと思う。
日本ではそもそも働いている親だけが保育園を利用するべき、というような考えが蔓延している。
専業主婦は3歳まで自宅で自分の子供の面倒を見なければならない、みたいな感じ。これってかなりのストレスです。
自宅がマンションなんかであれば子どもの声で近所の人が文句を言ってくる場合もあるだろうし大変だと思う。
それに核家族化が進んでいるからちょっと子どもの面倒を親にお願いして1人で外出するなんてこともしづらい。となれば母親ってどこで休憩できるんだろうと思ってしまう。
頼みの綱のはずの旦那でさえも仕事で疲れていて、家には寝るために帰ってきている状況であれば、母親が1人で面倒を見なければいけない。これってかなりのストレスですよ。
- 子育ての悩みを相談できる人が身近にいない
- 少しの時間子どもを預かってくれるような人が近くにいない
- 専業主婦だから子どもを保育園に預けるのは絶望的
- 子連れで外出をしたら周囲の目が痛い
これでストレスを感じずに子育てできるほうがスゴイんじゃないかと思う。
子どもの数は多ければいいわけでもない
子どもの数がいくら増えたって、いい社会になるとは限らないのを誰も考えたことはないのかと疑問に思ってしまう。
例えばだけど、最近ネグレクトや幼児虐待なんて話もよく聞く。こういった環境で育った子どもが普通にマトモに生活できるようになるとは思えない。
親からの愛情を感じられなければ非行に走るかもしれないし、心に傷を抱えて育てばその後の社会で普通に生活するための基本的な人間関係を築くのも難しくなる。
目立った虐待がなくても社会に適合できない大人になってしまえば、それは日本社会が期待する労働力となる若者ではなくなってしまう。そういった人たちは最終的に生活保護で保護しなければならなくなるのであれば、それは税収にはならないでしょ。
こういった労働力にならない子どもばかりが増えたとしたらそれは果たして日本の社会にとってプラスになると思える人はいる?
抑圧されてする子育てはいいんでしょうか
とにかく現在子育てをしている母親は多くのプレッシャーの下で子育てをしていることがある。
外出は控えめで、共働きであれば保育園探しに必死になり、保育園が見つからずすがるような思いでネットにその悩みを書き込めば、計画的に引越しをしない自分が悪い、などと非難される。
ここまで抑圧された環境で子育てがしたいと思う人がどのくらいいるのか疑問に思う。
母親が抑圧されて子育てをすれば、そのストレスのはけ口は自然と弱いものへと向かってしまうこともある。このケースでは多くの場合の弱者って結局子どもになってしまうのでは?
虐待をする親はもちろんよくないけれども、虐待の原因の一つは親を抑圧する日本社会だったりもするんじゃないかと。
ストレスを感じて外出をするくらいなら家にいたほうがいいよね。でも家というものすごく狭い空間で1人で子どもの面倒を見ていたら母親はストレスを感じるのも無理はない。
誰が悪い、というのでもないけれども今の環境は本当に子育てがしづらいと思う。
もっと母親が子連れで外出できる社会だといいのに
直接の解決にはならないかもしれない。でも、せめて各家庭の親が子連れで外出するのに罪悪感を感じない社会に変わる必要はあると思う。
毎日会社で働いているだけの人にはわからないかもしれないけど、一人で子育てをしていて母親が罪悪感を感じずに外出ができるということがどれほど貴重かということを多くの人は理解を示すべきではと思う。
もちろん、必死で会社で働いている人を批判するつもりはないです。会社で働いていればそれはそれで子育てとは全くちがった多くのストレスが存在するだろうから。
ただでさえ会社でストレスを感じているのに、いざ電車に乗ったらものすごく混雑した電車にベビーカーを持った母親が子連れで乗っていて、子どもが泣き出した、なんてなったら親切にする気力がないかもしれない。混雑した時間帯に子連れで電車に乗るな、なんて思ってしまうかもしれない。
それでも皆が「自分は大変」「自分は疲れている」「他人を助ける余裕はない」ってなってしまったら、もう日本の社会には子どもは必要ないっていっているようなもの。
自分が本当に余裕がなくて誰かに親切にしてもらったときって本当に嬉しいしその後も忘れないことが多いです。疲れていてもほんの少し子連れの親に親切にできるくらいの気持ちを持っていてもいいんじゃないかと思う。
本当に追い詰められた状態でしてもらった親切は忘れないし、その後、自分に余裕ができたときには誰かに同じようにしようって思えることもある。
社会全体で母親がせめてストレスを感じずに外出ができる環境を提供していくのは本当に重要だとは思いませんか?
大切なのは少しずつ皆が親切になること
他人を助けるというのは簡単なことではないです。でも、ほんの少しの親切は連鎖して広がっていくはず。
過去に自分が子育てで大変な思いをして誰も助けてくれなかった、それも一つの経験かもしれません。それでもそれを今の必死に子育てをしている親に押し付ける必要はないです。
自分が苦しんだ分、他人も、なんて思っていたら本当に苦しい社会です。何も他人の子どもの面倒をみなさい、なんていっているんじゃない。
ちょっと大変な外出をしている子連れの親を助ける心の余裕くらい持ち合わせてもいいんじゃないかっていうことです。そうした心の余裕がもしかしたら子育てをしている母親の虐待を防ぐかもしれない。
社会全体が子どもや子持ちの親に親切になれば、それは子どもが生活しやすい環境にもなります。子どもが生活しやすい環境であれば子どもを持つのも悪くない、と思う夫婦もでてくるかもしれません。
子育てがしやすい環境とは社会の皆が子どもやその親に優しい環境のこと。
自分が苦しいときに他人を助ける余裕を持つなんて本当に大変なことだと思います。それでも大変そうな親子を見た時に自然に手を貸してあげられる人が増えれば、子育てをする環境がもっと改善されていくのでは、と思っています。
まとめ
日本には昔から「恩送り」や「情けは人の為ならず」という言葉があります。
「恩送り」とは、誰かから受けた恩をその人に返すのではなく別の人に送ること。
「情けは人の為ならず」とは、情け(親切)はいずれ巡り巡って自分に返ってくる(だからひとに親切にしておいた方が良い)という意味です。
日本で忘れがちになりつつある思いやりの精神が、子育てママだけでなく、社会全体に良い効果を引き起こしてくれるのではないかと期待しています。